リサイクルショップ 落穂拾
Description
豊島区のリサイクルショップです。
住所 :〒171-0044 東京都豊島区千早1-36-6
電話番号:03-6873-5380
営業時間:10:00〜20:00 年中無休
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facebook.com落穂通信8.19「代々木上原教会追放史」 ご存じの方も多いでしょうが、この度、店長以下落穂拾の関係者は日本基督教団代々木上原教会を出入り禁止になりました。「教会を乗っ取ろうとしたカルト宗教」として、です。 ぱっとこういうことが起きますと、人は例外なく「代々木上原教会が正しく落穂拾グループが何かよこしまなことをしたに違いない」と思います。なぜなら、相手の方が歴史深く、小奇麗であり、社会的地位があり、育ちがよく、ありていにいえば金をもっているからです。それは「支配的思想」であると言い換えてもよろしいでしょう。しかし、いわずもがな、私どもにも言い分はあります。歴史が浅く、小汚く、社会的地位はなく、育ちも悪く、ありていにいえば金がない我々で、多くの人には届かないでしょうが、店長から見た本「事件」の経緯をこの場でお話します。 ■経緯 2016年3月に、当方どもの「求人」情報を見たひとりの青年が「面接」に訪れます。代々木上原教会員で、のちに教会役員・青年会長となるA氏です。A氏は、当店に映画「スワロウテイル」の「あおぞら」のような、理想的共同体の姿を見た、ぜひ仲間に加わりたいという旨の話をしました。それ以来、賃金労働の合間を縫ってはわれわれの仕事を手伝ったり、勉強会に参加したりするようになりました。この関係は現在も続いています。 A氏は、代々木上原教会の方針の一部に不満も持っているながら、毎週教会の仕事をこなす熱心なクリスチャンでした。そして、教会の不満をいろいろ教えてくれました。 たとえば、覚せい剤で捕まって、釈放されたクリスチャンの外国人が家がないということがあったそうです。教会には、生活スペースがあるにもかかわらず、それを貸すことに難色を示す人が多かったといいます。 あるいは、教会に通っている人間がそろって社会的地位が高い、金持ちな人間であるのに、ホームレスに軒先ひとつ貸さないことにも不満をもっていました。 広い土地を占有し、日曜と水曜の限られた時間だけ空けて、困った同胞にすら門を閉ざすとは、どこが神の家なのか、という趣旨のことを繰り返しいっていました。(なお、これは受け手である店長の解釈で、A氏の「真意」は異なる可能性があります。) 一、神のしもべとして求道中で、基督教にも深い興味があった店長は、A氏に誘われ、礼拝に4度か5度伺いました。後半は違和感を感じ足が遠のきましたが、代々木上原教会のなごやかな人々、清潔な建物、神のことを思う多くの子どもたちに触れられたことは幸せなことでした。讃美歌かパイプオルガンの響きには心を奪われることもありました。「どんなにちいさいことりでも」がお気に入りでした。 引き続きわたしどもの読書会に参加していたA氏から、「代々木上原教会でもマルクスの読書会したい。講師をしてほしい」と頼まれたのは、7月の上旬のことだったと思います。「一神教とマルクス主義の融合」は店長のライフワークとするところで、力不足を思いながらも、快諾しました。当日は妻と礼拝から参加しました。25人から30人ほどの方が集まり、牧師の秋葉氏から基督教の歴史観について話を伺えました。他教会の協会員の方や、多くの面識のない学生などが集まり、非常に有意義な会になったと感じました。この際に、次回日程として8月14日が指定され、快諾しました。 しかし、内部ではA氏の苦闘は想像以上だったようです。我々は、得たいの知れないカルト宗教(否定はしません)で、それを招いたA氏は教会内から強い批判を浴びたようです。プロテスタントの「正統をもたないことが正統(店長の理解による)」という考えに基づき我々を招いたことの正当性を訴えたA氏でしたが、読書会設定日の前日、8月13日に、正準両牧師に呼び出され、教会からの追放を言い渡された、ということです。 以上が、私が知る限りの、本件にかかる経緯です。 ■何が教会か 私によくない噂がつきまとっているのも事実ですし、怪しい人間であることも否定しません。また、多くの人々にとって受け入れがたい言動・主張を私がしているのも事実です。ですから、どこか、誰か、団体や人に拒絶されるのは慣れたものです。遡れば大学のゼミナール、日本共産党に続き、日本基督教団にも「カルト宗教」として拒絶されたことになります。それによって私は何も傷心しませんし、当然の流れだとも思います。 話は変わって、私どもの店には、いろいろな人が、時間を選ばず訪れます。近所のおじさん、おばさん。子ども。身心に障がいを持った人。みんな、できる範囲で、仕事を手伝ってくれたり、ものをくれたりします。人とものが集まり、365日あいているのが私たちの店です。 来る人がもとめるものはさまざまです。ものを買いに来る人。売りに来る人。おなかがすいている人にはご飯を出しますので、おなかがすいた人。のどが渇いた人。夏はすずみにくるひと。冬は寒さをしのぎに来る人。おしゃべりにくる人。iPadを教えて、という人。ベットを組み立てて、という人。テレビを直して、という人。今日泊めて、という人。いろんな人が困りごとを持ち込んで、店員はその解決に奔走します。ほとんどの場合、「献金」は必要としません。 持っている信仰もさまざまです。いま、この文章を書いている段階で店番をしているのは、創価学会員のおばさん。お客さんのすすめで、霊波之光の本部に遊びに行ったこともあります。今日は崇教真光のひとからおにぎりをつくる会に誘ってもらいました。前述のように、クリスチャンやムスリムもいます。この前はユダヤ教の研究者にいろいろ話を聞く機会を得ました。 豊かな教会とは、こういったものであろうと私は確信しております。そして、この「教会」をより豊かにしていきたいと考えています。理想の教会をつくるため、代々木上原教会から多く学びたい、基督教についても理解を深め可能なら洗礼を受けたいとも思っていたので、今回の件は残念でした。私どもの店と、代々木上原教会とどちらが正しい「教会」か、その判断を読者諸賢にゆだねます。 落穂拾店長 宮内 春樹 2016.8.19 01:36 誤字修正
落穂通信7.29「<中津闘争委員会>なる団体の構成員、および小路まき子、福井哲也なる人物へ」 リサイクルショップ落穂拾は、大阪中津の騒動において藤野派を全面的に支持すると共に、新社会を構築する同志として今後も今まで以上の協力関係を構築します。 大阪中津において、藤野氏を中心として「衣食住保障」「無給労働」「自らを豊かにする労働」のリサイクルショップ落穂拾と同形態の運動が今年2月から展開されてきました。この運動は、6月上旬に一部運営員(以下、反藤野派)のクーデターにより撤退を余儀なくされました。反藤野派は、クーデターの要求として事業を継続する際には、「衣食住全ての支払い」を掲げています。これは、我々が、あるいは藤野派が掲げていた「食住完備」(3月23日、藤野氏のツイートより引用)とは、全く様相の異なるものであり、唾棄されるべき要求です。我々の運動において、衣食住の全ては金銭的に保障されるものではありません。さらには、与えてもらうものでもありません。生活の豊かさは、自らが共同体の一部として働くことで共に作り上げていくものです。 反藤野派の藤野派を打倒してよりよい共同体を目指すでもなく、ただ口を開けて甘い蜜を与えてもらうだけの態度を私たちは断固として批判します。事業を解散する場合の要求項目として挙げられている「現金100万円の支払い」に至っては笑止千万です。反藤野派各員には、自分で汗水流して働くことでそのお金の重みを実感していただきたい。 また、本件において藤野派が「左派」を称する面々からさえも労働基準法を盾に打倒の対象とされたミスリードについても指摘しておきます。労働者-経営者対立は、プロレタリアートブルジョワジー対立と異なります。藤野派や我々の試みに労働基準法を聖典として最低賃金・就業時間・補償等の修正や攻撃を加えようとすることは、何らの豊かさにも社会変革にもつながりません。もしも「左派」を称する面々が労働基準法をこの国のあらゆる労働に適用させようとするならば、地域に根付いて商売をしている自営業、伝統を守り続ける良き中小企業、家庭を支えている小さな商いは倒産します。生き残るのは、人を切り捨てることに長け、徹底的に合理化された大企業です。 反藤野派のあらゆる要求は、我々が標榜する新社会構築の運動とは全く次元の違うものであり、あらゆる言動には、新しい社会の創造の可能性はありません。その先にあるのは社会変革の試みもないままの更なる腐敗です。 リサイクルショップ落穂拾は、最後まで厨房を、自分の働く場所を、守り続けようと全力を尽くした藤野派の同志たちを断固として支持します。そして藤野派が大切にしていた働く場所を破壊した反藤野派を徹底的に弾劾し続けます。また、今でも続いている藤野派に対する直接的、間接的な暴力のひとつひとつを私たちは決して忘れません。どちらが社会をより豊かにより自由にする革命的な態度で、どちらが反革命的な態度なのかを、今後必ず明らかにします。 我々は、必ず勝利します。 汗だくに埃まみれに油まみれになる労働によって、この社会の風景を変えます。カンパで肥え太る・あるいは肥え太りたいと願う左翼、本だけを読んで理想の社会を語るのみの左翼が、これまでも、そしてこれからも決して成し得ない変革を必ず達成します。「1号店」たる我々落穂拾は、まもなく5店舗目も始動させます。展望は我々の側にあります。リサイクルショップ落穂拾は、今後も全国の同志に「衣食住保障」「無給労働」「自らを豊かにする労働」の運動の展開を訴え、その知恵を積極的に共有します。 今後、藤野・櫨畑に対して何か意見・反論・質問・議論がある場合、リサイクルショップ落穂拾が二人を代理して回答を行いますので、卑劣な個人攻撃はやめるように。 リサイクルショップ落穂拾 店長 宮内 春樹 副店長 菅谷 圭祐 店員 藤野 郁哉 店員 櫨畑 敦子
落穂通信7.7「今後の事業計画と、店長出演情報のお知らせ」 今回も忙しすぎてまともな文章が書けません。今後の事業計画と店長出演情報。 今後の事業計画 ・民泊 ・老人ホーム ・駄菓子屋 ・保育 ・洗濯代行 店長出演イベント 7/10(日)レーニン「国家と革命」読書会講師 14:00-16:00 カフェバーエデン(豊島区千早2-18-4 副都心線要町駅徒歩10分) 7/17(日)マルクス・エンゲルス「共産党宣言」読書会講師 13:00-15:00 日本基督教団代々木上原教会(東京都渋谷区上原3-18-3 千代田線代々木上原駅 徒歩5分) 8/27(土)リレー講演会講師 JamHouse Amaterasu 天照
落穂通信6.16「<稼ぎ>の分類ー<詐欺>と<芸事>と<仕事>のあいだ」 急に「年収一千万」の話から始まります。 ひとえに「年収一千万」といっても、その様態は様々です。例えば「空き巣」で「年収一千万」という人がいたらどうでしょう。警察の御用になるからだけではなく軽蔑が向けられてしかるべきでしょう。それは正当な<稼ぎ>ではないからです。ここに、正当でない稼ぎ全般を<詐欺>と定義します。例えば、舛添都知事が政治資金で豪勢に暮らすのも<詐欺>によるものです。 次に、<芸事>による<稼ぎ>について。生産者の前で、何か芸をして、果実を得ます。これを<芸事>と定義します。原始的には、魚を取って漁港に戻った漁師の前で踊り、魚を投げてもらうようなものです。芸能人やはやりの「ユーチューバー」もこれに該当するでしょう。マスメディアやインターネットの発達により、一部の<芸人>のもとに投げ銭が多く集まるようになっています。あるいは、小説家など、売文家一般もこれに該当するでしょう。(これは、正当な稼ぎに当たります。) 最後に、衣食住を中心とした生活水準の向上に直接資する労働があります。これを<仕事>と定義します。前述の例でいえば漁師ですね。この<仕事>をこそ我々は志向します。 社会がいくら複雑になっても、<仕事>の果実をこそ<芸事>は投げられ、また<仕事>の果実をこそ<詐欺>は奪います。読者諸賢に置かれましては、単に収入がいくらであるというだけでなく、その稼ぎが<詐欺>か<芸事>か<仕事>かをこそ評価できるようになってほしいと願います。あなたの『仕事』は、果たして「仕事」でしょうか。
落穂通信6.9「大卒無職バー開催に関するあれこれ」 グループ店の「カフェバー エデン(豊島区千早2-18-4)」で、以下のイベントを開催します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 6/14(火) 17:00-23:00 「大卒無職バー」やります。 大学出たけど、就職するでもなく、アルバイトしたり、公務員試験受けたり、資格の勉強して、世間に復帰しようと試みるも、うち8割くらいは世間復帰できない人たちだけが来られるバー。大卒ほぼ無職の店長が身の上話聞きます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー もともとエデンは、ただ家賃が安くて1号店に近かったので借りた物件で、どういう風にしようという案がなく、いろいろな企画を出して一番「受けた」のが上のイベントです。企画案をツイートして1日で、150以上のリツイートをされました。 落穂拾もそうですが、「人々の熱狂」「人々の支持」を一番大切に思っています。なぜなら、それが、そしてそれだけが、革命の萌芽だからです。「大卒無職」がこれだけたくさんいるというのは、想定外でした。いろいろな実験を世間に対してなして、「階級」を発見し組織するのが指導者の唯一の役割と心得ております。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 大卒無職バー。 「大卒無職バーとか、俺じゃんwww」とかいいながら、心のなかでは、俺は他の大卒無職とは違う、(カスみたいな仕事で小遣いを)自分で稼ぐノウハウをもってるし、大学も優秀なんだ、その気になれば難関資格だって、みたいに思って何も得ず年を食っていく人たちのためのバー。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 大卒無職バーにかかわる上記のツイートに「実存を揺るがされた」「いちいち刺さる」「こうなりそうで怖い」などの反応がありました。 単なるおもしろバーで終わるのではなく、実存を攻撃し、苦しみを表出させ、真の苦しみの原因に向き合わせる役割も担いたいと思っております。 6/14(火)は落穂拾ファンのみなさまにもお越しいただきたいです。 カフェバーエデン https://twitter.com/CafeBar_Eden
落穂通信6.2「<メンバー>と<手伝い>はどう違うのか」 私たちをモデルのひとつとしている、大阪の弁当屋「ぽぽっと」の店長から、「メンバー」と「手伝い」は、どのように分けたらよいのか、という相談を受けました。 私どもは、給料をまったく払っていません。なぜか人が手伝ってくれ、その働きによって維持されています。 給料をまったく払われていない、という点では、メンバー(すなわち、中心的構成員であり、その意見が重視されるべき存在)と、手伝い(すなわち、周辺的構成員であり、その意見が重視されるべきでない存在)は同じです。 では、どこが違うのか。それは、事業に対する責任の度合いです。 例えば、弊店でも、参与の度合いという意味ではとても大きかったKさんという人がいます。しかし、その人はある日を境に参与の度合いを下げ、気が向いたら店にきて、手伝うという程度にとどまっています。これは、メンバーであるということはできません。 責任の度合い、というものを具体的に説明しましょう。 例えば、事業不振で家賃が払えないとなったときに、「大変ですねえ」で済ませられる人間は、メンバーではありません。 あるいは、火事で店が全焼し、隣家にも延焼し、多額の損害賠償を支払わねばならないとなったとき、その損害賠償を、どのように工面しようか、といっしょに思い悩む一団、これがその事業のメンバーです。 「メンバー」と「手伝い」、どちらも店にとっては非常に大切な存在です。しかし、「メンバー」と「手伝い」には明確な質的な差があります。それに気付かなかったり、あるいは混同したり、あるいは無視したりして、「手伝い」を「メンバー」として遇した場合、この事業形態は取り返しのつかない破たんを迎えるでしょう。 責任を持った「メンバー」のみが、組織の根幹に触れることが許されるのです。
落穂通信5.26「私はボランティアをしていないし、ボランティアを求めてもいない、という話」 この店、あるいは、この店を中心とした共同体?企業体?は、多くの無賃労働によって支えられています。非常に珍しい形態ですよね。 事実として無賃労働によって支えられているのは確かなので、「自分が無賃労働をしているおかげで、この店は成り立っているのである」というメンバーがいてもおかしくありませんし、現にそういった言動をするメンバーもいます。 しかし、これは全くの間違いであるということをはっきりさせておきます。 事実として、を繰り返すと、事実、無賃労働者が1人もいなくなったところで、この店はつぶれません(規模は縮小されるかもしれないが)。なぜなら、この店は店長の個人商店であるからです。 個人商店とは、例えばタバコ屋のようなものです。タバコ屋は一人タバコ屋のおばちゃんがいれば成り立つのであって、手伝いにくる人がいれば、新商品の案内や喫煙所の清掃ができて、店番も頼めるし助かるわけですが、商売の根幹の部分には関係がないわけです。 落穂拾の事情はもう少し特殊で、ある種思想的です。思想に共感したり、心服したりする人間が、無償労働をしたり、有形無形の財を持ち寄ったりして、企業体が形成されてきました。 誓っていいますが、私はいま無償労働をしているメンバー(非メンバーも含み)に対して、この店で無賃労働してくれ、助けてくれ、といったことはありませんし、思ってもいません。 私はただ勝手にやって、それを支持する人間がついてくるし、支持しない人間はついてこない、それだけです。 ひとことでいってしまえば、ここは教会のようなものです。店という形をとって、オープンなスペースで、商売をしているから寄付金を出さなくていい教会。皆はここに、安らぎや、今日のパンや、ないしは革命をもとめくるのであり、さしづめ私は司祭ということになりましょう。自分たちの場を守るために、みなが少しずつ働き、もちろん働かない人間もいて、それでなんとなしに維持されている空間。そこで、あなたの存在は決定的ではなく、しかし、大切な構成要素のうちのひとつなのです。
落穂通信5.19「貧乏だから新品の代わりにリサイクル品を使うんだろう、という誤った意見について」 われわれのしていることは、ともすれば内部からも、「貧乏ゆえの代替案」と思われがちです。 「買えば早いし、新品で買ったほうがいいのだけれども、お金がないから、2級のリサイクル品で我慢しておくか。」 これは完全に誤った考え方で、正されなくてはなりません。 まず、金でものを買うのは基本的な経済行為ではなく、補助的な経済行為である、ということです。 少しかみ砕いていいます。例えば、ヤマダ電機のサービスで「Twitter設定1000円」「メール設定1000円」といったものがあり、「情報弱者を食い物にするあくどい商売」として批判をあびたことがありました。では、「新品の冷蔵庫や洗濯機を買う」というのはどうでしょうか。あるいは「新車を買う」というのはどうでしょう。これらは情報弱者を食い物にするあくどい商売ではないのでしょうか。これはまったく同様のものです。ツイッターが本当はただで設定できるのと同じように、ものは、本当はもっともっと安く、同質のものができるのです。 「でも、壊れたときどうするんだよ」 という意見について。直せばよいのです。そもそも、新品だって壊れるときは壊れます。初期不良も非常に多いです。新品の場合、「保証」だとかいって、要するに壊れたときに修理するために待機させておく人間分の人件費を価格に上乗せしているというだけ。本質はなんら変わらないのです。ものは、新品や中古といった区分によって壊れたり壊れなかったりするのではなく、ただ物理的・化学的な結合の不調によってのみ壊れるのです。 まだまだ書き足りないのですが、この辺で。
落穂通信5.5「現場監督になるまでどれだけ必要?」 落穂拾は賃金が出ないので、理念はともかく、しばしば小銭が必要な現在では、「ダブルワーク」というべきか、お金をもらえる旧来通りの賃金労働をしながら、仕事終わりや休日に落穂拾で働くというメンバーが多いのです。 なんとかもっといっしょにいたい、いっしょに働くことだけがわれわれの進歩になると考える店長としては、お金を稼げて自分たちだけで回せる仕事をどんどん作っていきたいと考えています。 さて、「ガテン」や「パワーワーク」といった求人誌をみていますと、「一人親方募集」や「協力会社募集」といった文字が多く並びます。こりゃつまり、肉体労働の現場は人が不足しており、現場を任されるようになれれば、身内だけで好きなぺースで働けるじゃないか! 我が意を得たり!と思って、メンバーのA氏に、いまの仕事をやめて現場にいき、現場監督になってこられないか?と相談しましたが、「何年かかるのでしょう?」「どれくらいやればその状態になれるのでしょう?」ってなもんで、あまり前向きに進まない。 確かに、職人のインタビューなんか見てみると、経験の世界で、何十年の熟練がものをいう、みたいなことが言われています。それに脅かされちゃうのもわかるけど、私はそんな「大ウソ」にだまくらかされてるなよ、と言いたいです。 私は「現場監督」すなわち、そこの仕事がひととおりこなせるようになるまでに、未経験から「3日」もあればいけると思います。あとは、その人間のやる気と、科学的態度、注意力、そういったものが条件です。 私は、リサイクルショップの片付け仕事で、まったくの未経験から始めて(必然的に現場監督)、未熟ながらも仕事を完成させました。2回目ともなればなれたもの、3回目はほとんどプロフェッショナルです。「後進の指導」にあたる余裕も出てきます。 世の中の仕事は、ある種非常に簡単であり、「専門家」により「聖域」は守られています。分業否定論にもつながるこの論点。仮説と実験を繰り返し、実証していきます。
落穂通信4.21「喫茶店開くぞ!開店費用は大金がかかる、という大嘘について」 グループ店舗「Cafe&Bar エデン 啓典と革命」 https://twitter.com/CafeBar_Eden?lang=ja をオープンする運びとなりました。店長は火曜日・木曜日の17:00-23:00に、店舗に立っている予定です。皆様とお会いできることを楽しみにしています。 さて、一般に店を開くのは大金がかかる、保証金が大変、家賃が大変、人件費が大変、内装費が大変・・・と言われています。 詳しい金額は書きませんが、エデンは、家賃がすごく安いです。学生の一人暮らしくらいの値段で、初期費用もそれ相応の値段でした。少し外れの店舗は、それくらいの値段で貸しに出ていることが珍しくありません。 人件費は?なんと払いません。基本全部自分が立っているつもりなのですが、希望者がいるので、交通費と食事だけで店番が埋まります。(普通ならカフェいくだけでお金とられる、あるいは1日同じ場所にいるだけでお金がかかるのに、店番としていればただでごはんが食べられる!そして、自分好みの店にできる!これはすごい!) 内装?いままでかけたのは、トイレを和式から洋式にする部品2700円なりと、合鍵2300円なり、計5000円! 店を出すのに、お金なんて大してかかりません!!! 大嘘に騙されないで、みんな軽い気持ちで店だそう!!!
落穂通信4.14「改めて、落穂拾の説明(作成中のホームページ用文書の引用)」 落穂拾(らくすいしゅう)は、豊島区内に2店舗を展開しているリサイクルショップです。 拾得経済の拠点として、新しい社会の創生を目指します。 <落穂拾の考え> 落穂拾(らくすいしゅう)という名前は、フランスの画家・ミレーが1857年に描いた名画「落穂拾い(おちぼひろい)」に由来します。 「落穂拾い」は、旧約聖書の物語に基づく絵画です。稲穂の収穫時に取りこぼされた「落穂(おちほ)」を拾う貧しい農婦が描かれています。 稲穂の収穫時に取り残された落穂は、その土地の所有者のものではなく、貧しい農夫が拾ってよいものとして、敢えて残されていたそうです。 いまの社会で、この「落穂拾精神(らくすいしゅうせいしん)」は、どれほど生きているでしょうか。 アルミ缶拾いや段ボール拾いも、あらゆる手段で締めあげられています。 「資源ごみ」(=落穂)は、行政の専有物であり、それを持ち去ることは窃盗にあたる、と主張する行政主体もあります。あるいは、条例を定めて持ち去りを禁止します。 冷蔵庫や洗濯機、電子レンジなどの、家電について考えてみましょう。 あるいは家電は、稲穂に似ています。家電メーカーは毎年大量の家電をつくり、耐用年数は7年と定められます。 新しいものは「省エネ」だ、なんだと煽り、まだ使えるものを捨てることが推奨されます。 他には、食品廃棄についてはどうでしょうか?「CoCo一番屋」の、大量廃棄は記憶に新しいところです。 「拾った」商品の流用が(そこには他の問題があるにせよ)厳しく指弾されました。 賞味期限が切れ、廃棄される弁当。拾われることを阻止するために、水をかけたりすることもあるそうです。 われわれは、貧しい農夫です。 貧しい農夫の代表として、落穂を拾って、集めて、保管しておいています。落穂拾は、貧しい農夫の共同倉庫なのです。 わかりやすいので「ショップ」という名前を冠していますが、倉庫の維持費と、管理人の食いぶちを、共同倉庫の利用者皆で払っていこう、という形態なのです。