Top Local Places

日本キリスト教団 高の原教会

奈良市朱雀3-11-6, Nara-shi, Japan
Church/religious organization

Description

ad

近鉄京都線 高の原駅すぐ近くにあるプロテスタントの教会です。
高の原教会の扉は、どなたにも開かれています。 毎週、日曜日に礼拝をおこなっています。どなたでもお越しいただけます。服装は自由です。手ぶらで来ていただいて構いません。礼拝では讃美歌を歌い、祈りを捧げ、聖書からキリストの教えを学びます。第2、第4日曜日には礼拝後にコーヒーアワーがあり、楽しい交流の時間となっています。

主な集会等のご案内
◇主日礼拝  
 毎日曜日 午前10時25分(1時間程度)
 幼児見守りの部屋もあります
◇夕礼拝
 毎月第2日曜日 午後7時(1時間程度)
 朝と同じく、神様の言葉を聞き、賛美と祈り
 を捧げる静かな礼拝です。若い方、求道者の
 方、仕事などで朝の礼拝に出られない方など
 が来られます。
◇教会学校 
 毎日曜日 午前9時15分~10時30分
 子ども(幼児から高校生)のための礼拝と
 年代別の楽しい分級があります。
◇聖書講座
 毎水曜日 午前10時30分~正午
 聖書を少人数で詳しく学びます。礼拝では質
 問できなくとも、ここでは牧師に尋ねること
 ができます。※第1水曜日は共に祈ります。
◇晩祷会
 毎水曜日 午後7時30分~9時
 朝の聖書講座と同じく聖書を学びます。また
 ともに祈りを捧げます。(お祈りが苦手な人
 はパスできます。)

上記のほか、青年会、婦人会、壮年会などのグループ活動、家庭集会、地区集会などの集会や様々な活動を行っています。詳しくはホームページをご覧ください。
◆こころとたましいに触れる会
◆キリスト教基礎講座 
◆オープンスペース・ハイジ
◆ピーターパンのお昼ごはん
◆聖歌隊
◆ハンドベル・クワイヤー
◆シナイ山の会(山歩き同好会)

また、ジャズコンサートやチャペルコンサート、講演会等のイベントも随時開催されています。

RECENT FACEBOOK POSTS

facebook.com

 ついに年度最後の日曜日を迎えます。この日は《棕梠の主日》。イエスがその地上の歩みの最後にエルサレムに入られた「エルサレム入城」を記念する日曜日です。この日曜日から「受難週」が始まります。この一週間の行事についても下記をご覧ください。 ◇次回主日礼拝 3月25日(日)10時30分  受難節第6主日 棕梠の主日礼拝 ☆「讃美歌21」を使用します。 (礼拝の備え 51「愛するイェスよ」) 点  鐘 前  奏 礼拝招詞  ルカ12:32 頌  栄   26 開会祈祷 主の祈り 交読詩編   24篇 讃 美 歌  307「ダビデの子、ホサナ」 黙  想 牧会祈祷 讃 美 歌  294「ひとよ、汝が罪の」 聖書朗読(新p.83)  マルコによる福音書11章1-10節 説  教「イエスさまの言うとおり」 祈  祷 讃 美 歌  503「ひかりにいます主」 献  金 牧会報告 頌  栄   29 祝  祷 応  奏 後  奏 点  鐘 グリーティング ◇今後の牧師在堂日  3月27日(火)午後、4月5日(木)午後  2018年度は原則木曜日になります。 ◇洗足木曜日聖餐夕礼拝  3月29日(木)19時30分 ◇受難日早天祈祷会  3月30日(金)7時

facebook.com

説教要旨「喜びの家に行こう」詩編122 (2018年3月18日 竹ヶ原政輝牧師)  今年度、高の原教会では「喜びの家を目指して」という年度主題を置き、詩編122篇1節、《主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたしはうれしかった。》を年間聖句として掲げ歩んできた。詩編122篇は、ユダヤの都エルサレムへの巡礼ということが背景にあると考えるのが妥当と思われる。ユダヤ人たちにとっての聖なる都エルサレム、その城内に足を踏み入れられる喜びを詩人は歌っている。新共同訳では《うれしかった》と訳されているところは、口語訳聖書では、《わたしは喜んだ》と訳されている。「主の家に行こう」と誘われたとき、詩人は喜んだ。一緒に行こうと誘われて、そこにやがて自分がいるということを考えるとうれしくてたまらない。「主の家」とはそういう場所だった。高の原教会が多くの人にとってそういう場所であるように、そうなれるようにという思いを込めて「喜びの家を目指して」という年間主題を立てた。私はここに「喜びの家」としての教会を建てたいと思っている。それは立派な会堂を建てたいという意味ではない。喜びを共にする共同体を造ろうということだ。このことを抜きに建物のことだけを考えるわけにはいかない。ただ、教会の建物について考えるとき、一つの“時”を迎えていることも事実であるように感じている。  詩人が「主の家」と呼んだのは、恐らくエルサレムに建てられた神殿のことだろう。それを建てたのはユダヤ人たちの先祖イスラエル民族がエルサレムを都とする国を持っていた時代の王の一人ソロモンだった。彼の父が今日の詩編にも出てきたイスラエルの伝説的な王ダビデ。このダビデ王の時代にエルサレムはイスラエル王国の都と定められた。そして彼の後を継いだソロモンの時代にエルサレムに神殿が建てられるが、この頃、王国は最盛期を迎え、国内の状況も安定していたと言われる。それにしてもエルサレムに神殿を建てることを最初に志したのは、実はダビデだった。ダビデがまず、エルサレムに神殿を建てようと思ったのだが神は、「それはお前の仕事ではない」と言われた。それは、お前の後の代の者がなすべきことであると神はダビデにお示しになった。私は、このエピソードから何だかとても大事なことを教えられるような気がする。ダビデは、神殿を建てるのが自分の仕事ではないと知った時、後に成し遂げられるべきことのために、今できることをやろうと考えた。ソロモンによる神殿建築の様子を聖書の中に見てみると、ダビデが彼に残したものが色々見えてくる。まずは目に見えるものとして神殿が出来上がった後、神殿内に納められた儀式の道具。これをダビデは用意した。それ以外にソロモンは神殿の建築を始める際、建築作業に携わる職人を派遣してほしいと周辺の国に頼んでいるが、これもダビデがその国と関係を作っていたことが助けになっている。それは建築資材の輸入という点でも同じことが言える。そして、ダビデがソロモンに残した最も大きなものが“平和”であると言われる。俗にソロモンは「賢い王」というイメージで見られるが、ダビデは「強い王」だった。いつも戦いの先頭に立ち、イスラエルを勝利に導く。戦いに明け暮れたとも言えるその生涯においてダビデは、イスラエルの脅威となる周辺の諸民族に勝利をおさめ、その地域における国の安全を確保する。その状態があってこそ、息子ソロモンは神殿の建築という大事業に専念することができた。  このダビデのような働きをしている人は、聖書に何人もみられるような気がしている。たとえば、エジプトからのイスラエル民族の脱出を導いたリーダーであるモーセ。彼はエジプトから約束の地カナンまで荒れ野の旅を導いた人物だが、大変な苦労をしつつも、いよいよ約束の地が目前というところに来て、そこに入ることができないと言われてしまう。そのことを一度は嘆くモーセだったが、ついに彼は後継者であるヨシュアを選び、彼にイスラエルを託す。そして、カナンでの定住生活を始めたイスラエル民族はやがて王国時代を迎え、先程のダビデ、ソロモンへとつながっていくわけだが、こうやって見ると、そこには一つのつながりと言うか、大きな流れが存在するように思える。モーセ、ダビデ、ソロモン、更にその次の世代と。それがやがてイエス・キリストの時代を迎え、その死と復活の後、キリストの教会の時代、私達の時代を迎える。そういう流れがある。ダビデが神殿建設を思い立ったのも、モーセが遺した十戒の石版が入った「契約の箱」を納める場所を造ろうということだった。自分が立派な宮殿に住んでいるのに、神の臨在の恵みの器が幕屋のようなもので良いのかと。その後のダビデとソロモンの関係も、単に親ができなかったことを子どもにしてもらおうとするような、そんな狭いものではない。もっと壮大な、神が導き給う歴史の中で起こった出来事だろう。そういう歴史の中に、私達の生はあるということを覚えたいと思う。私達が教会というところに連なるとき、そこには私達の前の世代から託されたものがあり、そして私達の次の世代へと託していくものがある。高の原教会のバリアフリー化という課題にしても、私は単に前任者から引き継いだという風には考えていない。もっと大きな流れの中にあることなのだと思う。そして少なくとも、私は教会の皆さんと苦労を共にするためだけに遣わされたのだとは思っていない。ここで喜びを共にするために導かれたと信じている。  私達の歴史を超えて永遠に存在しておられる方に私達の命と思いはつながれている。その大いなる流れの中で、その中で生かされた者たちの生は決して虚しいものとはならない。人それぞれ、できることがあり、できないことがある。できたことがあり、できなかったことがある。それも神の深い御心の中でつながれ、定められたとき、相応しいときに芽を出し、実を結ぶことになる。そういうことを私達は信じていいと思う。神が共にいて導かれる歴史の中で、私達の命も思いもつながれている。そしてまた私達をつなぐもの、同時代の私達をつなぎ、世代を超えて私達をつなぐもの、その間にあるものは“祈り”ではないだろうか。122篇の詩人も祈っている。その中に兄弟姉妹のため、友のための祈りがあった。《あなたのうちに平和があるように》。私達もお互いの平和のために祈り合いたいと思う。互いの平和を祈り、喜びを共にする。そんな共同体がここにはある。それを私達は目指す。“ある”と言ったり”目指す”と言ったり、一体どっちだと思われたかもしれない。しかし、神の前にはすでに“ある”ものを私達が“目指す”ということがあるのではないかと思う。ダビデは後の代に神殿は建つと言われ、それがすでにあるもののように信じ、その時の自分の最善を尽くした。神の御心ならば、自分が何もしなくても実現するだろうなどとは考えていなかった。そして、彼よりどのくらい後の人かはわからないが、一人の詩人が歌う。《主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたしはうれしかった。》ダビデの働きは、この一つの魂を喜びで満たすことにつながっている。今、私達が取り組もうとしていることもこういうことなのではないだろうか。  「主の家、神殿」ということについて言えばパウロは第一コリント書3章で次のように言っている。《あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。》私達自身が神の霊を住まわせている神殿だと言われている。そのような者として相応しい歩みをせよということだ。そのような歩みはやはり、礼拝から出ていって礼拝に帰ってくる生活の中で確かにされていくものだろう。新年度も互いの平和を祈りつつ、一緒に喜びの家に行こうという思いでここに集まれればと思う。 次回主日礼拝 3月25日(日)10時30分 受難節第6主日 棕梠の主日礼拝 聖書 マルコによる福音書11章1-10節 説教 「イエスさまの言うとおり」竹ヶ原政輝牧師 《「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」》(マルコ11:9-10)

facebook.com

 卒業式シーズンですね。新しい世界へと旅立っていく皆さんの前途に祝福がありますようお祈りします。どうか希望を持って新しい一歩を踏み出されますよう。 ◇次回主日礼拝 2018年3月18日(日)10時30分 受難節第5主日礼拝 (礼拝の備え 355「主を仰ぎ見れば」) 点  鐘 前  奏 礼拝招詞  ルカ12:32 頌  栄  539 開会祈祷 主の祈り 交読詩編   22:25-32 讃 美 歌  142「さかえの主イエスの」 黙  想 牧会祈祷 讃 美 歌  249「われつみびとの」 聖書朗読(旧p.969)  詩編122篇 説  教 「喜びの家に行こう」 祈  祷 讃 美 歌  191「いともとうとき」 献  金 牧会報告 頌  栄  541 祝  祷 応  奏 後  奏 点  鐘 グリーティング ◇今後の牧師在堂日 3月20日(火)午後、27日(火)午後 お話、聴きます。お気軽にどうぞ。

facebook.com

説教要旨「土の器」Ⅱコリント4:1-15 (2018年3月11日 竹ヶ原政輝牧師)  早いもので、もう年度末。今月の最後の日曜日は「棕梠の主日」と呼ばれる日曜日になる。そして翌週、新年度最初の日曜日がイエス・キリストの復活を祝うイースターということになるが、この時期にはその時期にふさわしい聖書の箇所を読んだ方がいいだろうと思い、聖書日課というのを参考に礼拝での朗読箇所を選ぶことにした。また次週は今年度を締めくくる教会総会が行われるのに合わせて、今年の主題聖句として選んでいた『詩編』122篇を改めて味わいたいと思う。そんな中、先週は来月から異動となられる才藤千津子牧師に説教をお願いしたので、今日がなんとなく浮いた感じになってしまった。続けて読んでいる『使徒言行録』の続きをやっても良かったのだが、一旦小休止して、『使徒言行録』の主な登場人物の一人パウロの手紙を聖書日課から取り上げることにした。  「土の器」という説教題から大体どの箇所か察しの付いた方もおられるだろう。第二コリント書4章の比較的よく知られた箇所かと思うが、この説教題について聖書のことをあまり知らない人はどんな風に思うのだろうか。例えば松本清張の『砂の器』を思い浮かべる人もいるだろう。清張がなぜこの作品に『砂の器』という題をつけたのか、詳しいことはわかっていない。この言葉で人間のもろさのようなものを表現したかったのだろうか。パウロは、自分たち人間という存在について「土の器」と表現している。それはどこかでもろいものということのようでもあり、また、価値の低いものということでもあるようだ。聖書はそもそも「人間は土の塵で造られた」と語っている。旧約聖書の『創世記』によれば、神はアダムという最初の人間を土の塵で造り、その鼻に息を吹き入れることで生きる者とされたという。また同じく旧約の『イザヤ書』にも「土の器」という言葉は出て来る。45章9節。《災いだ、土の器のかけらにすぎないのに 自分の造り主と争う者は。粘土が陶工に言うだろうか 「何をしているのか あなたの作ったものに取っ手がない」などと。》これは、人は神に造られたものであるということを前提にして、造られたものが造り主にたてつく傲慢さを戒めた言葉だ。人間は神に造られたもの、被造物であるという、この人間理解が聖書に基づく信仰の基盤の一つとしてあるということは、ぜひおさえておいていただきたいと思う。この考えから、造られたものである人間はお造りになった方の意志のもとにある、つまり、何のために使われるかは造った側である神の御手のうちにあるという考えも生まれる。そのような人間理解、人間観というものをパウロも持っていたはずで、そして今、自分はあることのために神に用いられていると彼は確信し、自覚している。それは「キリストを宣べ伝えるため」。《この務めをゆだねられている》と彼は言う。《憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられている》と言うわけだが、その務めについてパウロは決して自分の力でそれを得たわけではないと言う。それは、彼の能力のゆえでもなければ、努力が報われてのことでもない。彼はそれを“栄光ある務め”と言っているが、それはただ神の憐れみによってゆだねられたという。彼にとってこのことが大変な実感を伴うものであったろうことは、彼が教会を迫害する者からキリストを宣べ伝える伝道者に変えられたという経験を持っていることからも想像できると思う。そういう変えられる経験の中に、神の憐れみや導きというものが見出されることがある。私は神学を学ぶために同志社の神学部に入ったが、入学当初、洗礼も受けていなかった私にとってキリスト教はあくまで研究対象に過ぎないものだった。2年間学んだところで、まだ信じるものとは思えなかった。けれど3回生の夏、決定的な経験をした私は変えられた。パウロの言い方で言えば、“私の心の内に神が輝いてくださった”ということだろう。それから私は伝道者への道を導かれるが、そもそも私に信仰が与えられたのは、それまでの勉強が認められたとか、そういうことではないと思う。また、信じたいと思って熱心に求めていた結果というわけでもない。しかし、神は私をとらえられた。それはただ神の憐れみによること。そのような私にとって、パウロが今日の箇所で言っている別の、もう一つのこともわかる気がする。3節から4節にかけてのところだが、そこでパウロは、キリストを信じるということを妨げられている人々について語っている。キリストを宣べ伝える自分たちの言葉が届かない、実らない。そのことを《わたしたちの福音に覆いが掛っている》と表現する。また、それは《この世の神》のせいなんだと。《この世の神》という、この世に存在する力があって、それが人に神を信じないようにさせているというわけだ。世の中には、この力からどうしても自由になれない人がいるのだとパウロは言う。どんなに誠実にキリストを宣べ伝えても、受け入れることのできない人はいる。それほど熱心に求めなくても、信じられる人はいる。求めているはずなのに、信じられない人がいる。これは残念ながらと言うべきか、紛れもない事実だ。そのような力が働くこの世の中で、そんな世の中であっても、主であるキリストを宣べ伝える私は落胆することがないとパウロは言う。闇の中に光を生みだされる神が、その栄光を悟る光を人に与えてくださるからだと。その時、キリストを宣べ伝える時、《わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではない》と言うが、それは「自分の話はしない」ということではない。パウロは自分の回心について繰り返し語っている。先程は私も自分の話をした。人が何かを信じようというとき、聖書の信仰とはこういうものですよという講義、講釈だけでは伝わらないものがある。宣教には「証し」というのがある程度、ある部分、必要であり、そこでは自分の話をすることもある。ただ、それは自分を売り込むということではない。パウロはそういう人々を《神の言葉を曲げている》、《売り物にしている》と批判する。そういう人は教会を支配しようとしている。自分のものにしようとしている。しかしパウロは、《わたしはあなたがたに仕える僕》だと言っている。自分の能力や努力が認められて人の上に立つのではなく、ただ神の憐れみによってゆだねられた僕の地位、そこにこそ自分にとって栄光ある務めがあると彼は言う。自分自身は土の器に過ぎないものだが、そこに偉大な神の力が働いている。そんな私達は、《行き詰まらず、失望せず、見捨てられず、滅ぼされない》と言う。このもろい土の器でありながら、滅ぼされない。この世の神の力にまさる大いなる力が私達には及んでいるから。ここでパウロの抱いている希望とはどんなものだろうか。それは、苦しまないということではない。途方に暮れないということではない。虐げられないということではない。打ち倒されないということではない。《わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。》行き詰まるのは嫌だ、何もかもをうまくこなせないのはみっともない、情けない。そんな発想からはたどり着けない希望がそこにはある。確かに行き詰まるのは弱いからだ。でも、よいではないか、そこに神の力は現れるのだから。パウロはそのような神秘的な恵みについて語っている。  私達の言葉や行いの一つひとつが、すべてキリストのため、信仰の証しとなるのだという自覚を持つ時、そこに希望はある。土の器に働く、偉大な神の力がある。このような弱く貧しい自分を用いてくださる神がおられるという真実を知らされる。そして、この土の器に過ぎない体が、キリストと同じ栄光の体へと造りかえられる復活の希望がある。そのことを信じ、土の器に過ぎない自らを神の前に差し出していこう。私達の一番良い使い道は、私達を造られた方が一番良くご存知だ。その神の憐れみを信頼しつつ、新年度も共に栄光ある務めに携わっていこう。 次回主日礼拝 3月18日(日)10時30分 受難節第5主日 聖書 詩編122篇 説教 「喜びの家に行こう」竹ヶ原政輝牧師 《主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたしはうれしかった。》(詩編122:1)

facebook.com

 3月11日を迎えます。様々な被害を受けられた方々、大きな痛みを抱えられた方々のために改めて祈りたいと思います。今も続けられている被災地・被災者支援の取り組みが祝されますよう。 ◇次回主日礼拝 2018年3月11日(日)10時30分  受難節第4主日 ☆「讃美歌21」を使用します。 (礼拝の備え  205「今日は光りが」) 点  鐘 前  奏 礼拝招詞  ルカ12:32 頌  栄   26 開会祈祷 主の祈り 交読詩編  27:7-14 讃 美 歌  300「十字架のもとに」 黙  想 牧会祈祷 讃 美 歌  513「主は命を」 聖書朗読(新p.329)  コリントの信徒への手紙二 4章1-15節 説  教 「土の器」(竹ヶ原政輝牧師) 祈  祷 讃 美 歌  532「やすかれ、わがこころよ」 献  金   牧会報告 頌  栄   29 祝  祷 応  奏 後  奏 点  鐘 グリーティング ◇夕礼拝 2018年3月11日(日)19時 ☆「讃美歌21」を使用します。 前  奏(黙祷) 礼拝招詞 ルカ12:32 頌  栄  24 主の祈り 讃 美 歌  298「ああ主は誰がため」 牧会祈祷 聖  書(新p.276)  ローマの信徒への手紙3:21-26 説  教 「神に委ねる」(西澤献神学生) 祈  祷 讃 美 歌  452「神は私を救い出された」 献  金 牧会報告 頌  栄  29 祝  祷 後  奏(黙祷) ◇今後の牧師在堂日  3月13日(火)午後、20日(火)午後、27日(火)午後  お話、聴きます。お気軽にどうぞ。

facebook.com

 3月に入りました。1月、2月、3月というのは時の経つのが早いとよく言いますが、本当だなと毎年思わされます。こういうときこそ、一日一日を大事に過ごしたいものです。特に教会の暦は受難節(レント)。イースターに向けての良き備えの時となりますように。 ◇次回主日礼拝 3月4日(日)10時30分より  受難節第3主日 聖餐礼拝 (礼拝の備え  7「主のみいつと」) 点  鐘 前  奏 礼拝招詞  ルカ12:32 頌  栄  539 開会祈祷 主の祈り 使徒信条  566 讃 美 歌  142「さかえの主イエスの」 黙  想 牧会祈祷 聖 歌 隊  Ⅱ40「ものみなこぞりて」 聖書朗読  (新p.64) マルコによる福音書2章13-17節  (旧p.1149) イザヤ書53章1-5節 説  教 「弱さの中にこそ」才藤千津子牧師 祈  祷 讃 美 歌  495「イエスよ、この身を」 聖 餐 式  205 献  金  547 牧会報告 頌  栄  541 祝  祷 応  奏  21-39-6 後  奏 点  鐘 グリーティング ◇今後の牧師在堂日  3月6日(火)午後、13日(火)午後、20日(火)午後  お話、聴きます。お気軽にどうぞ。

facebook.com

説教要旨「欧州伝道の夜明け」使徒16:6-10 (2018年2月25日 竹ヶ原政輝牧師)  キリスト教は、もともとアジアからヨーロッパに伝わったと言うと、意外に思われるだろうか。昨日行われた大阪教区の信徒大会の「わたしが初めて聖書に出会ったとき」というテーマの背景には宗教改革500年ということがあったようだ。宗教改革というのはドイツの宗教家マルティン・ルターがそのきっかけを作ったわけだが、この出来事からカトリック教会に対するプロテスタント教会というのが生まれる。そして、この宗教改革の際に起こった大きな出来事の一つが聖書のドイツ語訳、つまり聖書を民衆が読める言語に翻訳するという作業であった。これが印刷技術の普及ということと相まって、ラテン語のできる聖職者しか読めなかった聖書が一般市民にも読めるものになったという歴史がある。今、わたしたちが日本語で聖書を読めているのも、決して当たり前のことではないということを、感謝をもって覚えよう。これを宗教改革500年ということに合わせて、それぞれ自分と聖書との出会いの時を振り返りつつ、恵み深い神の導きに思いを馳せようという主催者側の狙いがあったのだとわたしは理解した。1517年にドイツで起こった出来事が、その後の教会の歴史に、今のわたしたちの信仰生活に大きな影響を及ぼした。これ以降、プロテスタント教会の多くはアメリカを経ながら日本にキリスト教を伝えていく。このような仕方でキリスト教を摂取した日本では、キリスト教と言えば欧米のものという印象が強いのだと思う。しかし、キリスト教はもともとアジアからヨーロッパに伝わったという言い方ができる。今、続けて読んでいる『使徒言行録』は、イエス・キリストが十字架にかかって死なれたエルサレムからその教えが周辺地域にどんどん広がっていく様子を描いているが、その舞台となるのは地中海の北東沿岸地域一帯。そこは地理上の定義で言えば「西アジア」と呼ばれる地域に含まれる。西アジアは、東はアフガニスタンからイラン、イラク、アラビア半島を経て、トルコに至る地域だが、現在はイスラム圏と認識されることの多いこのエリアが、実は新約聖書の舞台。そして、キリスト教はこのアジアからヨーロッパへと伝わっていった。その始まりに当たる箇所を今日は読んだことになる。  今読んでいる辺りの『使徒言行録』の主な登場人物であるパウロは、シリア州のアンティオキアという町を起点に、先程の西アジアの特に西の辺り、小アジアと呼ばれる地域のいくつかの町を廻り、そこに教会を建てる。この一回目の宣教旅行から戻ってしばらくしてから、パウロは二回目の宣教旅行に出ることを考えた。地中海の東岸を北上し、西に回り込むような形で地中海の北側にあるデルベ、リストラといった以前訪れた町を廻る。そこから更に西の方へ行こうと考えるが、パウロは恐らく、西へ西へと進みながら更にイエス・キリストの教えを宣べ伝えていく上で、当然、効果的な道順を模索したはず。それで、本当は小アジアの主要道路を抜けて、大きな都市の一つであったエフェソへ行って伝道しようと考えたようだが、この計画は挫折する。それは、《アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられた》からだと言う。このアジア州の首都がエフェソであったわけだが、このルートをとれなくなったので、当初の計画よりも進路を北側に取り、フリギア・ガラテヤ地方を抜けて行くことにする。そこで彼は、ガラテヤから今度は北側のビティニア州に入ろうと考えるが、これも実現しなかった。《イエスの霊がそれを許さなかった》からだと。このことを聞けば、なんと馬鹿げたことかと笑う人もいるだろう。パウロたちは別に、あまり人の訪れない場所を巡るウラ観光を楽しみたくて西へ向かったわけではない。彼らには福音を宣べ伝えるという目的があった。そのために、より効果的な道を通ろうとした。ところが、彼らはその計画をあきらめ、西へ西へと進んでいく。しかも、その理由が、《聖霊に禁じられたから》だと言う。これは、緻密な市場調査をもとに絶対売れる商業計画を立てるような人が聞けば、きっと理解に苦しむことだろう。それでもパウロは、聖霊の導きのままにトロアスへとたどり着く。そこで目の前に見えるのは海。半島の西の端まで来てしまった彼らは、そこで宿を取る。その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が、マケドニア州に渡って来て、自分達を助けて欲しいとパウロに願ったと言う。パウロがこの幻を見た時、一行はすぐにマケドニアに出発する決断をする。ちょっと振り返れば、まだ陸続きのところに、もっと簡単に移動できる範囲に、伝道するのに格好の場所があるのに、何でわざわざ海の向こうまで行く必要がある。あまりに非合理的、非経済的、非生産的。そんな考え方をする人もいるだろう。しかし、それでも、パウロたちはマケドニアへと向かう決断をする。しかも、ただちに。彼らが全く躊躇無く新天地へ向かう決断をすることが出来たのは、それが神の召しだと確信したからだと言う。これは、確信ゆえの決断。今さら引き返すのもだるいし、とりあえず行っとくかとか、そういう決断ではない。彼らは、そここそが自分達の行くべき道だと確信している。彼らにそう確信させたもの、それは一人のマケドニア人の幻。この幻によって、ヨーロッパ伝道の道が拓かれた。このようにして福音は新たな領域へと運ばれていく。福音の前進に必要なものは何か。それはきっと人間の計画ではなく、「幻」だ。自分たちはこうしようと思っていた。本当はこんな風にしたかった。それができなかったところに示される幻がある。あっちもダメ、こっちもダメと言われて、気づいたら行き止まりのような場所に立たされていた。そこで示される幻があるもの。  マケドニアに向かって海を渡り、そこで新たな歴史を紡いだキリスト教は、やがてアメリカ大陸に渡り、更にアジアの東の端にある小さな国日本へとやって来る。そこでこの国なりの教会の歴史を重ねながら今日にいたるわけだが、現代における日本の教会の課題ということについて少し前に考えさせられたことがあった。ある医療関係者の方の言葉がきっかけだったが、こんな話を聞いた。これまで日本の医療は欧米の医療を参考にしてきた。しかし、今の日本の社会というのは、いわゆる「超高齢化社会」であり、そんな社会状況を経験してきた国など、どこにも無い。そういう中に今の日本の医療は置かれている。これを聞いて、日本の教会も同じだなと思った。日本の教会も欧米の教会の歩みを参考にしてきたところがあると思う。しかし、医療と同様に、日本の教会も今までどの国だって経験したことの無い社会状況の中に置かれている。お手本の無い状態で私たちは伝道していかなければならない。そういう状況なのだと気づかされた。そういう中で、私たちの助けになるものは、やっぱり聖書なのだろう。キリスト教の伝道に初めて取り組んだ人々。お手本などない状態で伝道していった人々。これこそが、今の私たちのお手本になりうるのかもしれない。今回のパウロの旅路は、その一つだと思う。また、目に見える状態を超えて働く神の恵みがあるということをパウロは彼の手紙の中で言っている。コリントの信徒への第二の手紙4章8節から9節。《わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。》このような希望がわたしたちにはあるということを信じたいと思う。そして、わたしたちを新しいステージへと導く幻が与えられること、それを皆で共有できることを切に願う。 次回 受難節第3主日 聖餐礼拝 聖書 マルコによる福音書2:13-17    イザヤ書53:1-5 説教 「弱さの中にこそ」才藤千津子牧師

facebook.com

 先週、用心していたつもりなのですが、熱を出して寝込んでしまいました。FBの更新もできず、ご迷惑をおかけしました。どうぞ皆様も健康管理には引き続き十分にお気をつけください。(牧) ◇次回主日礼拝 2月25日(日)10時30分  受難節第2主日 聖餐礼拝 『讃美歌21』を使用します。 (礼拝の備え  17「聖なる主の美しさと」) 点  鐘 前  奏 礼拝招詞  エフェ6:11-12 頌  栄   26 開会祈祷 主の祈り 交読詩編  18:2-7 讃 美 歌  298「ああ主は誰がため」 黙  想 牧会祈祷 讃 美 歌  440「備えて祈れ」 聖書朗読 (新p.245)  使徒言行録16章6-10節 説  教 「欧州伝道の夜明け」 祈  祷 讃 美 歌  412「昔 主イェスの」 献  金 牧会報告 頌  栄   29 祝  祷 応  奏 後  奏 点  鐘 グリーティング ◇今後の牧師在堂日  2月27日(火)午後、3月6日(火)午後、13日(火)午後

facebook.com

説教要旨「彼の物語」使徒16:1-5 (2018年2月18日 竹ヶ原政輝牧師)  人には、それぞれの物語があるもの。人が生きていくとき、そこには歴史が生まれ、物語が生まれる。一人の人間の人生というのは、どれも小さな歴史であり、物語。テモテという若い男性の背後にある彼の歴史、彼の物語は、短いながらもなかなか複雑なものであったと想像される。  彼は母親がユダヤ人、父親がギリシア人であったということだが、彼自身は何人だったのか。ユダヤには、母親がユダヤ人であれば父親がユダヤ人以外のいわゆる異邦人であってもユダヤ人とされるという法があると言うが、であればテモテはユダヤ人であったことになる。しかし、彼はユダヤ人の男子が受けることになっているはずの割礼を受けていなかったと言う。では異邦人のような生活を送っていたのかと言うと、彼が幼少期からユダヤ教の聖書に親しんできたということを伝える伝承が見られるので、ユダヤ人としての教育は受けていたようだ。彼は何人であったのか。もし、テモテ本人に聞いたら、彼は何と答えたのだろうか。そんな複雑なものを抱えた青年とパウロは出会う。テモテは、パウロの弟子にして同労者として知られ、新約聖書の中のパウロが書いたとされる手紙の中にもしばしば登場する。そのテモテとパウロとの出会いの場面が今日の『使徒言行録』の記事には描かれていたが、パウロと彼が出会ったのは、パウロがいわゆる宣教旅行の二回目に出発して間もなくのこと。リストラが彼の出身地であったとされるが、このリストラにパウロは一回目の宣教旅行の際に訪れ、イエス・キリストの福音を宣べ伝えている。この宣教旅行の開始によって教会の異邦人伝道が本格化していったと言えるわけだが、エルサレムに最初に誕生したキリストの教会がまず信じたことは、ユダヤ人の間でその存在が信じられてきた救い主は、十字架にかかって死んだイエスであるということだった。ナザレ出身のユダヤ人イエス。この人が我々の待ち望んだ救い主であったと確信したユダヤ人たち、イエスの直弟子であった十二使徒らを中心に最初の教会が生まれる。ナザレのイエスは神の子であり、約束の救い主である。この方はエルサレムで十字架にかけられ殺されたけれども、復活なさった。これが最初の教会の信仰だった。そして、自分たちの間に現れた救い主を受け入れなかったユダヤ人に悔い改めを促すというのが教会の最初の動きであったわけだが、これがエルサレムの外へと広がっていく中で、イエスによって救われたのはユダヤ人だけではないということが示される。ユダヤ人たちの聖書、キリスト教における旧約聖書のことだが、それによると聖書の神は天地万物の創造主なる神であり、歴史の支配者たる存在。その神によって選ばれたユダヤ人というのは、やがてすべての民族が救われるための祝福の源になるべき存在であり、それがユダヤ人の先祖イスラエル民族の祖であるアブラハムに神が約束なさったことであった。その約束がユダヤ人の中に現れたイエスという人によって実現したと信じられるに至り、教会の福音宣教は異邦人をも対象としていくことになるわけだが、その過程において登場するテモテという人物。彼にとってキリストの福音とはどのようなものとして受け止められたのだろうか。伝承によれば、彼の信仰は母エウニケと祖母ロイスから受け継いだものであるという。このユダヤ人女性たちが、一回目のパウロの宣教旅行の際、キリストの福音を受け入れたということだろう。そして、二回目の宣教旅行でパウロが再び彼女らの住むリストラを訪れたとき、その家族テモテもイエスを救い主と信じるようになっていたということだと思うが、テモテにとってイエスとはいかなる存在だったのだろう。エウニケとロイスは、自分の息子であり孫であるテモテに、かねてから自分たちの聖書によるユダヤの信仰教育を施していたものの、父親がギリシア人であるということが関係するのか、割礼を受けさせることなく育ててきたと思われる。そんなテモテは何人かという問いを先程立てたわけだが、テモテにとってそれは、「自分は何人か」というより、「自分は何者か」という問いとして存在していたかもしれない。ユダヤ人としてもギリシア人としても中途半端なような感覚を抱えつつ生きてきたと思われる彼。特に民族の純血ということを重んじるユダヤ社会の中では、彼の存在は偏見の目で見られただろう。ではいっそ非ユダヤ人の生活を送れればよかったのかもしれないが、母と祖母は信仰の篤いユダヤ人だった。そんな母親がなぜギリシア人との間に子どもを作ったのか。その真相には触れようがないが、母と祖母はテモテに割礼を受けさせないままにユダヤの聖書教育は施す。その複雑な生い立ちにあって、彼女らの神がいつかきっと息子を、孫を救ってくださると信じていたのだと私には思える。そして、ついにその日が来たと、二人の女性には思われたのではないだろうか。パウロが宣べ伝える救い主イエス。この方によってユダヤ人と異邦人の壁は取り壊された。この方の前ではユダヤ人もギリシア人もないのだ。この教えに、彼女らはいかに救われたことだろう。そして、テモテは。自分はユダヤ人なのか、ギリシア人なのか。自分は一体、何者なのか。そのような問いが彼を苦しめた時期があったに違いないと想像する。アイデンティティーの揺らぎとでも呼ぶべき葛藤に苦しめられる。私にもそういう経験がある。なかなか克服できない葛藤からの解放の糸口が与えられたのがタイでの経験だった。北部の山岳地帯に住む山岳民族のクリスチャンの村で共に献げた礼拝。その中で「神は存在する」ということを実感した。そこから私の神にすがる思いが強められ、信じる思いに導かれ、受洗へと至るわけだが、その結果、私は自分の中に抱え込んできた葛藤からも解放された。罪の赦しや復活の信仰というものは、それから徐々にわかってきたというのが正直なところだ。テモテも似たようなものではなかったか。少なくとも、テモテはイエスに彼自身の救いを見た。それが真実だと思う。その真実は、しかし、パウロに何かを期待させるに十分なものであったということだろう。パウロもまた、彼の物語を持っていた。教会の迫害者であった者が福音宣教の使者とされるという物語。そんな物語が一人ひとりにあるものだ。  テモテは、パウロの同行者としての歩みを始める。彼の新しい物語が始まった。それまで彼を苦しめてきた葛藤は救い主イエスにあって克服され、その背景はむしろ、ユダヤ人、異邦人両者に向けて宣教を進めて行く上での架け橋ともなり得る可能性とすら思われたかもしれない。パウロに伴われて旅立っていくテモテを見送る母と祖母の姿を思い浮かべる。彼の物語の背後には、この二人の祈りがあったということを忘れてはならないだろう。あなたの物語、あなたの歴史の背後に祈っている人がいるということ、その祈りを聴き給う神がおられるということをテモテのエピソードは私達に語りかけるように思う。テモテは結局、何人なのか。もはやその答えなどどうでもいいと思われるかもしれないが、ある意味、パウロはそれに答えている。フィリピ3章20節。《わたしたちの本国は天にあります。》彼は、自分自身も含めて、「我々はキリスト・イエスにあって天国人だ」と言う。テモテも、エウニケとロイスも天国人だった。テモテはその生い立ちからこの二人を恨んだこともあったかもしれない。しかし、そのような感情からも彼は解放されたことだろう。この喜ばしい真理を私達に開かれた方に感謝したい。私達の救いのため、様々な葛藤や思い煩い、その根源的な悩みである罪というものからの解放のため十字架にかかられたイエスの歩みを思い起こすレントを迎えている。その救い主の物語には、神の子であり人間であられた方の苦悩と葛藤が偲ばれる。それらに真摯に心を傾けつつ、新たなレントを過ごしていこう。 次回 2月25日(日) 受難節第2主日礼拝 聖書 使徒言行録16:6-10 説教 「欧州伝道の夜明け」 《その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。》(使徒16:9)

facebook.com

説教要旨「大いなる未来のために」使徒15:36-41 (2018年2月11日 竹ヶ原政輝牧師)  昨年4月の高の原教会への赴任と同時に、大阪教区の方から教区ニュースに載せる新任教師紹介のためにいくつかの質問に答えるよう求められた。その質問の中に、「好きな聖書の登場人物は?」というのがあり、私はそれに、「バルナバ」と答えた。バルナバという人物について、日本キリスト教団出版局から出ている『新共同訳聖書事典』では次のように紹介されている。「パウロの同労者。キプロス島出身のユダヤ人。バルナバの最大の功績はパウロを異邦人伝道に連れ出した点にある。」バルナバは、彼らユダヤ人の間に伝わっていた救い主に関する預言がイエスという人物によって成就したというイエスの弟子たちの証しを受け入れたようで、エルサレムに誕生して間もないキリストの教会のメンバーに加わる。エルサレムで十字架にかけられたナザレのイエスこそユダヤ人が待ち望んだ救い主であった。この方は死んで葬られたが、復活なさった。そのように信じた人々が、イエスによる救いについて、イエスが生前教えられたことについて宣べ伝えていくわけだが、ユダヤ教の中に生まれたこの動きに対し、当時のユダヤ教の権力者たちは反対し、激しい迫害を加えた。そのような中にあってバルナバのようにイエスを救い主と信じ、教会のメンバーに加わるユダヤ人が現れてくる。更に『使徒言行録』は、教会が宣べ伝えるイエスの教えをユダヤ人以外の民族、いわゆる異邦人が受け入れるようになる様子を描くが、この異邦人への伝道に積極的に関わったのがパウロであり、パウロをその働きへと導いたところにバルナバの最大の功績があると先程の聖書事典は言う。彼が最初に『使徒言行録』に登場するのは4章で、そこには次のようにある。《信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。(4:34-37)》次に彼が大きな働きをするのは、教会を迫害していたパウロが回心してイエスの弟子たちの輪に加わろうとしたときで、それが9章に記される。当初、エルサレム教会の人々は、パウロをキリストの弟子とは認めなかった。当然だろう。パウロは有名な迫害者だったから、簡単に受け入れられるはずはない。その彼を使徒たちと引き合わせ、執り成したのがバルナバだった。この後のパウロの活躍と教会の発展は、バルナバの働きがあってのことと言ってもよいだろう。その次に出てくるのが11章。《ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。(11:19-26)》ここからバルナバとパウロは一回目の宣教旅行に出る。そして、今日の15章の終わりで、二回目の宣教旅行が始められようとしているわけだが、そこである問題が生じる。その問題のきっかけとなったのが、バルナバのいとこであったと言われるマルコ。《マルコと呼ばれるヨハネ》という名前で出てきた彼だが、伝統的には「ヨハネ・マルコ」といった呼ばれ方をすることもある。第一回の宣教旅行に出発した時、バルナバたちは、このマルコを助手として連れていた。ところがその旅の途中、マルコはパウロたちと別れてエルサレムに帰ってしまう。この行動は禍根を残す。この旅の後、しばらく経ってからパウロは、自分たちが宣教した町の教会がどうなっているか見に行こうじゃないかとバルナバに持ちかける。そのことにバルナバは賛成するが、あのヨハネ・マルコを連れて行きたいと言う。そこでパウロとバルナバの意見は衝突する。パウロは、一度逃げ帰ったような奴を連れて行くべきではないと考えていた。しかし、バルナバは何としてもマルコを連れて行きたいと思った。結局、二人の意見は折り合わず、パウロとバルナバは別行動をとることになる。実に、バルナバが聖書に登場するのは、これが最後。優れた信仰者として高い評価を受け、後のパウロがあるのもこの人のお陰とも思えるような人物。しかし、彼はただ一人の兄弟のために、歴史の表舞台から去った。彼が何故、マルコをもう一度連れて行きたかったのか、真相は闇の中。ただ、パウロとエルサレムの使徒たちとの間を執り成したような彼の人物像からすれば、パウロと別行動を取るに至るほどにそのことを譲らなかったというのは、よほどの思いがあってのことだろう。『使徒言行録』は、この15章を最後にバルナバについて一切語らない。彼はマルコと共に彼の出身地であったキプロス島へ渡ったということだが、それから二人がどうなったのか、詳細は不明。  『使徒言行録』が語るのはここまでだが、新約聖書はある興味深いことを私達に語りかける。パウロが書いたという手紙の一つ『フィレモンへの手紙』の結びの部分でパウロは次のように言っている。《キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。(23-24)》ここで《わたしの協力者》と呼ばれる人々の一人《マルコ》は、ヨハネ・マルコのことと思われる。またパウロに近い弟子たちが書いたとされる手紙の一つ『コロサイの信徒への手紙』にはこんなくだりがある。《わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼を受けた者では、この三人だけが神の国のために共に働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です。(4:10-11)》このようにマルコの名前は、新約聖書の中に度々出てくる。それも、パウロの協力者として。バルナバは、言わばマルコのために教会の歴史の表を去り、裏に回ることになった。しかし、マルコがパウロの働きを支えるようになったということを知るとき、そこにはバルナバの尊い働きがあったことが思い起こされる。彼の決断は、教会というものの、福音宣教の御業の未来につながるものであったと私には思える。そんな風に影の存在となりながらも神の御心の中、大いなる未来のために生きたと思える彼が、私は好きだ。彼を見ていると、人が記さず、語ることのない働きにも神は目を留め、等しく用いられると信じることができる。そんな彼のことを思ってかはわからないが、パウロの残した言葉をもう一つ紹介して、今日は終わることにしよう。『ローマの信徒への手紙』8章28節。 《神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。》アーメン 次回 2月18日(日) 受難節第1主日礼拝 聖書 使徒言行録16:1-5 説教 「彼の物語」竹ヶ原政輝牧師 《パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。》(使徒16:1-2)

facebook.com

 まだまだ寒い日が続いていますが、皆様お元気にお過ごしでしょうか。  今年は2月14日が「灰の水曜日」で、この日から受難節(レント)に入ります。この日から日曜日を除いて四十日を数えると4月1日の日曜日になります。これが今年のイースター、キリストの復活をお祝いする日です。その前にイエス・キリストが十字架へと向かわれる歩みを偲びつつ過ごすわけですが、十字架の苦しみの先に復活があるように、寒さの先にある春の光を希望を持って待ち望みましょう。 ◇次回主日礼拝 2月11日(日)10時30分 降誕節第7主日 ☆讃美歌21を使用します。 (礼拝の備え 20「主に向かってよろこび歌おう」) 点  鐘 前  奏 礼拝招詞  エフェ6:11-12 頌  栄   26 開会祈祷 主の祈り 交読詩編  125 讃 美 歌  289「みどりもふかき」 黙  想 牧会祈祷 讃 美 歌  504「主よ、み手もて」 聖書朗読 (新p.244)  使徒言行録15章36-41節 説  教 「大いなる未来のために」 祈  祷 讃 美 歌  566「むくいを望まで」 献  金   牧会報告 頌  栄   29 祝  祷 応  奏 後  奏 点  鐘 グリーティング ◇次回主日夕礼拝 2月11日(日)19時 ☆讃美歌21を使用します。 前  奏(黙祷) 礼拝招詞 エフェ6:11-12 頌  栄  24 主の祈り 讃 美 歌 287「ナザレの村里」 牧会祈祷 聖  書(新p.107)  ルカによる福音書4:1-13 説  教 「誘 惑」 祈  祷 讃 美 歌 284「荒れ野の中で」 献  金 牧会報告 頌  栄  29 祝  祷 後  奏(黙祷) ◇今後の牧師在堂日 2月13日(火)午後、20日(火)午後、27日(火)午後 お話、聴きます。お気軽にどうぞ。

facebook.com

説教要旨「われても末に」使徒15:1-21 (2018年2月4日 竹ヶ原政輝牧師)  「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」。崇徳院という人物が詠んだという歌だが、『使徒言行録』を読み進めるうちに、この歌が思い出された。歌の意味は大体次のようなもの。「川の流れが速いので、岩にせき止められた水が二筋に別れてしまった。しかし、それもいずれまた一つに戻る。そのように、あの人と今は別れ別れになったとしても、また必ず逢おうと思う。」この恋の歌が『使徒言行録』を読んでいて思い出されるのは、この文書の登場人物の一人パウロの持つある思いの熱さが、ここに歌われている恋心の熱さと近いように感じられるためだろう。この歌が詠まれた時代、携帯電話やSNSなど人と人のつながりを維持するのに便利なものがあるわけではない状況の中、目の前の別れが一生の別れにならないという保証もないのに、また必ず逢えるだろうという。一体何を根拠に、また何に期待してこのようなことが言われるのだろう。“縁”と呼ばれるようなものだろうか。あの人と私の間にはきっと浅からぬ縁があるはず、あるに違いない。だから、きっとまた逢えるだろう。そういう感覚が確かに日本の古典には見られる。しかし、聖書にはこのような“縁”という考え方はない。聖書の世界の人間であるパウロが持っている熱い思いを支えているもの、その希望の根拠となっているのは神だ。その神への信仰に基づき彼はある思いを抱いていたという。それは恋人ではなく、彼の同胞であるユダヤ人に対するものだった。  彼が、また私達教会の人間が救い主と信じるイエスもこのユダヤ人の中にお生まれになったのだが、このイエスを通して救われたのはユダヤ人だけではなかった。イエスはすべての人の救い主であったと示された人々によって、その教えはユダヤ人以外にも広められ、イエスを救い主、キリストと信じるキリスト教は世界中の人々に信仰されるようになっていく。このユダヤ人以外の民族、いわゆる異邦人への伝道に熱心であったのがパウロだが、その異邦人伝道に従事していく中で彼は、自分たちの間に現れた救い主を受け入れなかったユダヤ人というのはもう神から見捨てられたのであって、ここからは異邦人だけが救われるとは考えていない。パウロは、その働きの先にユダヤ人の救いがあると考えていた。彼は、イエスをお遣わしになった神はユダヤ人だけでなく、すべての人を救われたということを広く伝えていく中で、まずユダヤ人以外にも救いの喜びを味わう人が現れることを自らの喜びとする。そして、異邦人の中に救いの喜びに満たされた人がどんどん増えていけば、それを見ているユダヤ人の中に、「あの人々の喜びは、本来は自分たちのものではなかったか」と気づき、イエスによる救いを求める者が出てくる。こうして最終的にユダヤ人も異邦人も共に救いにあずかる。これがすべて神のご計画なのであって、その計画に自分は異邦人のための使徒として今は携わっているとパウロは理解した。今は二つに分かれてしまったが、いつかまた一つになる日が来る。そうパウロは信じながら、その使命に生きた。“われても末に 逢はむとぞ思ふ”。この歌に感じる恋心の熱さに、私はパウロが抱いていた同胞への愛の熱さを重ねてしまうのだろう。この同胞への愛を抱きつつパウロは異邦人に福音を宣べ伝える。  その福音を宣べ伝える教会が、ある問題によって割れたというのが今日の『使徒言行録』の記事。その問題とは《割礼》だった。ユダヤ人が異邦人と自分たちとを区別する“しるし”としていたのが体にこの割礼が施されているかということだったわけだが、教会のユダヤ人信徒の中に、異邦人にも割礼を受けてもらった上で一緒にやるのがよいと考える人があった。パウロには、それは受け入れがたい発想であり、そのように主張する人々との間に激しい意見の対立が生じたという。このことを協議するために福音の伝播の本拠地とも言えるエルサレムで会議が持たれることになった。そこに登場してきたのはイエスの一番弟子のような立場にあり、最初の教会の核となった十二人の使徒の一人ペトロと、当時、教会で信頼を得ていたらしいイエスの実の兄弟の一人ヤコブだった。この会議における、少なくともパウロが満足したらしい結論の一つは、「割礼は救いの絶対条件ではない」ということだった。会議においてペトロは、《神は…異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられた》と言ったが、それが教会で具体化されるのには、異邦人に割礼を受けさせ、彼らをユダヤ人の中に取り込むような形でなされるべきではないということが確認されたと言っていいだろう。またこの結論に大きな意味があったと思われるのは、“割礼”という目に見えるしるしによって救いは完全になるといった考え方が退けられたこと。人の救いという出来事において、人の手のなすこと、人間の行為が神の恵みの足らざるところを補うというようなことはありえないということだ。ただ、神の憐れみと神の子イエスの恵みによって私達は救われる。そのことを信じるということのみが“救い”ということにおいては私達に求められている唯一のこと。  イエスを救い主と認めるか否か。聖書の中には、そのことによって分けられた二つの流れがある。ユダヤ人と教会。その一方の教会の中には、共にイエスを救い主と信じつつも、その信仰が生まれて間もない時期ならではの衝突がある。衝突して、割れる。それは教会というものが生まれて二千年が経った今も変わらない。どこででも、人が複数いれば衝突と分裂は起こり得る。それが嫌なら、誰かと衝突したり、誰かと別れたりすることが嫌なら独りでいることだ。独りなら、ぶつかることも割れることもない。けれど、私達はそうできない。なぜなら神がこうおっしゃるから。《人が独りでいるのは良くない。》旧約聖書の『創世記』の冒頭で、神がこの世界と共に最初の人間であるアダムをお造りになったときの言葉。《人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。》そして神はアダムのパートナーとしてエバをお造りになるが、それはアダムのあばら骨からであったという。この人間の起源にまつわる神話。ここに人間がいかにあるべきかが示されているとするなら、まず「人が独りでいるのは良くない」ということ。そして、アダムとエバはもともと一つであったということ。一人であったなら、また一つであったなら衝突もなかっただろう。けれど神は敢えて二人の人を世界に造られた。しかも、もともと一つであったものから。またそれは全く同じものでもなかった。神は人を男と女、すなわち違いを持つ者として造られた。ここに人の本質があると私は思う。違いを持つ者同士が共に生きることを目指す。これが聖書の語る「人間」だ。その人間観を持ちながら、「人が独りでいるのは良くない」という言葉に神の深い御心をくみつつ、割れても、割れても、割れても、共に生きることを諦めない。教会とはそういうところでありたいと思う。  教会に生じた問題を話し合うための会議が持たれた。そこでは人の知恵に優れた意見が通ったわけではない。ペトロは言った。《なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。》ここで確認されているのは、自分たちの弱さとその人間の弱さの上に注がれる神の憐れみ、御子イエスの恵みだ。このことを土台としてユダヤ人信徒と異邦人信徒とが共に歩む道が模索され始めたのだと思う。私達もまた互いの違いと弱さに心を配り合い、全能の神の憐れみと御子イエスの執り成しのもと、われても末に一つとされることを期待しつつ、共に生きることを目指す者とされたいと願う。 次回 2018年2月11日(日) 降誕節第7主日 聖書 使徒言行録15:36-41 説教 「大いなる未来のために」竹ヶ原政輝牧師 《そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。》(使徒15:39-40)

facebook.com

Quiz

NEAR 日本キリスト教団 高の原教会