スラヴォンスキ・ブロド
Description
スラヴォンスキ・ブロド(クロアチア語:Slavonski Brod)はクロアチア・ブロド=ポサヴィナ郡の都市。2007年現在の人口は61,823人で、ローマ帝国時代にはマルソニア(Marsonia)の名で知られ、1244年から1934年にかけてはブロド・ナ・サヴィ(Brod na Savi)で呼ばれていた。スラヴォンスキ・ブロドはクロアチアではザグレブ、スプリト、リエカ、オシエク、ザダルに次いで6番目に人口が多い都市で、ブロド=ポサヴィナ郡の郡都でもある。スラヴォニア地方ブロド=ポサヴィナ郡の中央部に位置し、サヴァ川の河港がある。首都ザグレブからは南東に197km離れており、標高は96mである。地名のブロド(Brod)は現代のクロアチア語で船を意味し、都市名の古い意味は水が交わる場所や洗い越し、渡り場を表している。2009年、クロアチア政府観光局のクロアチアンナショナルツーリストボードで、クロアチアでもっとも美しい都市に選ばれている。地勢スラヴォンスキ・ブロドはサヴァ川を挟みボスニア・ヘルツェゴビナのボサンスキ・ブロドと国境を接している戦略的に重要な場所として発展してきた。幹線道路や鉄道の重要な要衝でもあり、ザグレブ - リポヴァツ - ベオグラードを結ぶE70、A3号線やザグレブ - ヴィンコヴツィ - ベオグラードを結ぶ鉄道路線が経由する。新たな高速道路網(欧州自動車道路)も整備されつつある。歴史スランヴォンスキ・ブロドは1224年7月20日にハンガリー王国ベーラ4世治世下に初めて文書に記録されている。ローマ時代から既に要塞があり、マルソニア(Marsonia)と呼ばれていた。7世紀、スラヴ人の定住が始まる。この地は、ハプスブルク家とオスマン帝国の戦略的な境界線でいく度となく戦乱に巻き込まれている。1715年から1720年にかけてオイゲン・フォン・ザヴォイエンによって軍事境界線となる要塞が築かれた。